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福岡地方裁判所小倉支部 平成6年(わ)528号 判決 1996年2月06日

主文

被告人を懲役二年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、郵政事務官として北九州中央郵便局保険課に勤務し、簡易生命保険契約の募集等の業務に従事していたものであるが、

第一  山田初子こと崔初子が交通事故による受傷で入院中であった上、同女を被保険者として既に法定の保険金最高限度額一〇〇〇万円を満たす簡易生命保険契約が締結されていたから、同女を被保険者とする簡易生命保険契約を締結することはできないことを知りながら、右事実を秘して同女を被保険者とする簡易生命保険契約を締結してその保険証書を騙取しようと企て、同女と意思を相通じて共謀の上、平成五年四月一五日、北九州市小倉北区京町三丁目八番一号北九州中央郵便局において、同局保険課課長代理金子雄二に対し、崔初子が交通事故による受傷で入院中である上、その通称名の山田初子等を被保険者名義に用いて既に保険金額一〇〇〇万円を満たす簡易生命保険契約を締結していることを秘して、同女の本名の崔初子を被保険者名義に用いた保険金額二五〇万円の簡易生命保険(災害特約及び疾病傷害入院特約付き一〇年満期普通養老保険)の保険契約申込書二通(保険金額合計五〇〇万円)を提出し、よって、同月一九日ころ、同局からこれを福岡市中央区大濠公園一番一号福岡簡易保険事務センターに送付させ、同月二一日ころ、同事務センターにおいて、同事務センター北九州契約課課長代理兼福岡一係長長谷川維子をして、右申込みが健康人を被保険者とした法定の保険金最高限度額を超えない適正な保険契約の申込みであるものと誤信させて右各申込書どおりの簡易生命保険契約を締結させ、同月二七日ころ、崔初子が指定した北九州市小倉北区南丘二丁目一五番九号市営南丘団地九棟八〇五号に、崔初子を被保険者とする郵政大臣発行にかかる保険金額二五〇万円の簡易生命保険証書二通(保険金額合計五〇〇万円)を送付させて同女に受領させ、これを騙取した

第二  清水美佐代が徳山外科医院に病気で入院中であったから、同女を被保険者とする簡易生命保険契約を締結することはできないことを知りながら、右事実を秘して同女を被保険者とする簡易生命保険契約を締結してその保険証書を騙取しようと企て、同女と意思を相通じて共謀の上、同年五月二五日、前記北九州中央郵便局において、同局保険課総務主任竹村正男に対し、清水美佐代が病気で入院中であることを秘して、同女を被保険者とする保険金額一〇〇〇万円の簡易生命保険(災害特約及び疾病傷害入院特約付き二〇年満期一〇倍型特別養老保険)の保険契約申込書一通を提出し、よって、同月二七日ころ、同局からこれを前記福岡簡易保険事務センターに送付させ、同月二八日ころ、同事務センターにおいて、同事務センター北九州契約課課長代理兼福岡一係長長谷川維子をして、右申込みが健康人を被保険者とした適正な保険契約の申込みであるものと誤信させて右申込書どおりの簡易生命保険契約を締結させ、同年六月三日ころ、清水美佐代が指定した北九州市小倉北区中井三丁目二一番四号清水美佐代方に、清水美佐代を被保険者とする郵政大臣発行にかかる保険金額一〇〇〇万円の簡易生命保険証書一通を送付させて同女に受領させ、これを騙取したものである。

(証拠の標目)省略

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、本件第一の事件については、主犯格は崔初子であるのに、同女を不起訴にして従犯的立場の被告人のみを起訴したのは、公訴の公平を害する、本件第二の事件については、警察官佐々木啓次の被告人に対する取調べには、犯罪をも組成する違法、不当なものがあったのに、検察官がこれを看過して起訴したのは、その裁量を逸脱したものであるなどとして、本件各公訴は公訴権の濫用であるから棄却されるべきである旨主張する。

しかし、本件第一の事件については、被告人と崔初子が共謀の上でしたことではあるが、保険契約の当事者である郵便局に対し直接欺罔行為をしたのは被告人であり、右事件においては、郵便局員である被告人が右欺罔行為をしたことが重要視されるべきものと考えられるから、崔初子を不起訴にして被告人を起訴したことが、必ずしも公訴の公平を害するものとはいえない。

また、本件第二の事件については、被告人は、当公判廷で、弁護人の主張に沿う供述をするが、証人佐々木啓次の当公判廷における供述に照らすと、被告人の右供述は必ずしも信用することができず、その余の関係証拠を併せて検討しても、警察官佐々木啓次の被告人に対する取調べに犯罪をも組成する違法、不当なものがあったと認めることはできない。

したがって、弁護人の右主張はその前提を欠くものである上、関係証拠によれば、本件のいずれの事件についても、被告人に詐欺罪が成立するだけでなく、その犯情も軽微とはいえないことが認められることなどにかんがみると、検察官の本件各公訴の提起がその訴追裁量を逸脱したものとはいえないから、弁護人の右主張は採用できない。

二  弁護人は、本件各詐欺事件はいずれも、被害が回復するか将来被害の出るおそれのないように民事上の処理がされた後に、詐欺事件として起訴されたものであるから、可罰的違法性を欠く旨主張する。

しかし、本件各詐欺事件には、弁護人指摘の点を考慮しても、可罰的違法性があると認められることは、後記の「量刑の理由」で説示するところから明らかであるから、弁護人の右主張も採用できない。

三  弁護人は、本件各事実について、被告人には詐欺の故意及び不法領得の意思がなかった旨主張する。

しかし、被告人の当公判廷における供述を含む関係証拠によれば、被告人は、崔初子及び清水美佐代からの本件各保険契約の申込みがいわゆる告知義務違反ないし超過契約の保険契約申込みであることを十分認識しながら、右の者らと意思を相通じて共謀の上、右の者らからの各保険契約申込書を北九州中央郵便局に持ち帰り、右各保険契約申込書のとおり保険契約が締結されるように、本件各保険契約の申込みがいわゆる告知義務違反ないし超過契約の保険契約申込みであることを隠して、右各保険契約申込書を同局保険課内務員に引き継ぎ、その結果、郵便局における保険契約締結の決裁権者をしてそれらが適正な保険契約の申込みであるものと誤信させて右各保険契約申込書どおりの保険契約を締結させ、その旨の保険証書を共犯者である崔初子及び清水美佐代に受領させて不法に領得させたものであるところ、その際、被告人には、郵便局を騙して保険契約を締結させるとともに、その保険契約に関する保険証書を共犯者である崔初子及び清水美佐代に不法に領得させる旨の意思があったことが優に認められるから、被告人に、詐欺の故意及び不法領得の意思のあったことは明らかである。

四  弁護人は、次の1ないし3の点を理由として、保険証書の詐取は詐欺罪を構成しない旨主張する。

1  保険証書は財物性を欠くとの主張について

しかし、本件第一の保険証書二通は、保険金額各二五〇万円、合計五〇〇万円の簡易生命保険契約の締結を証明する重要な文書であり、本件第二の保険証書一通は、保険金額一〇〇〇万円の簡易生命保険契約の締結を証明する重要な文書であるから、いずれもいわゆる証拠証券であるとはいえ、刑法上の保護を受ける財物であることは明らかである。

2  簡易生命保険証書の詐取は、国家的・社会的法益の侵害に向けられたものであるから、個人的法益を保護するために設けられた詐欺罪の定型性を欠くとの主張について

しかし、本件のような簡易生命保険証書の詐取は、国家的ないし社会的法益の侵害に向けられた側面を有するとしても、同時に、詐欺罪の保護法益である財産権を侵害し、同罪の構成要件を充足するものである上、関係法規の中に、本件のような簡易生命保険証書の詐取について詐欺罪の適用を排除する趣旨のものと解される規定はないから、本件のような簡易生命保険証書の詐取が詐欺罪の定型性を欠くということはできない。

3  保険証書の詐取は保険金詐欺の未遂形態であるから、保険証書の詐取を独立の犯罪として詐欺罪の既遂を認めることはできないとの主張について

しかし、保険証書は、前記のとおりそれ自体が刑法上の保護を受ける財物であるから、その詐取について独立して詐欺罪の既遂を認めて差支えないというべきである。

五  弁護人は、被告人は、本件各事件について告発される前に、北九州中央郵便局保険課長中仮屋隆に本件各事実を申告しているから、自首減軽の利益を与えられるべきである旨主張する。

しかし、自首は、捜査機関、具体的には検察官又は司法警察員に対してすべきものであって(刑事訴訟法二四五条、二四一条一項参照)、北九州中央郵便局保険課長中仮屋隆がこれに当たらないことは明らかであるから、被告人が、本件各事件について告発される前に、右保険課長中仮屋隆に本件各事実を申告していたとしても、自首は成立せず、したがって、自首減軽をすることはできない。

(法令の適用)

以下において、刑法とは、平成七年法律第九一号附則二条一項により、同法による改正前の刑法を指す。

罰条

判示各所為   いずれも、刑法六〇条、二四六条一項

併合罪の処理

刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重)

刑の執行猶予

刑法二五条一項

訴訟費用の負担

刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑の理由)

本件は、郵便局員として簡易生命保険契約の募集等の業務に従事していた被告人が、いわゆる告知義務違反ないし超過契約の保険契約の申込みを、そのことを十分分かっていながら、自己の営業成績(募集実績)を上げるため、その保険契約の申込者と意思を相通じて共謀の上、保険契約申込書を郵便局に持ち帰り、いわゆる告知義務違反ないし超過契約の保険契約申込みであることを隠して提出し、保険証書をだまし取ったという保険証書詐欺二件の事案である。本件各犯行の動機は、営業成績の悪かった被告人が、何とかして営業成績を上げたいと考えたことにあるとみられるが、郵便局員としては、いわゆる告知義務違反ないし超過契約の保険契約の申込みに対しては当然それを拒絶すべきであることが明らかであるのに、被告人は、郵便局員としての当然の職責を放棄して自己中心的な動機から本件各犯行に及んだものであるから、その犯情は悪質である。しかも、被告人は、郵便局員としてすべきでない違法行為をしたことが明白であるのに、公判廷で不合理な弁解をしていて、本件を真摯に反省しているとはいえない。したがって、被告人の刑事責任を軽視することはできない。

しかし他方、本件の捜査開始前に、本件第一の保険契約は解約され、本件第二の保険契約は失効していたこと、被告人がこれまで長年郵便局員としてまじめに働いてきており、昭和五一年に業務上過失傷害罪により罰金刑に処せられたことがあるほかには前科を有しないものであること、被告人は、本件でいずれ国家公務員法による処分を受けるであろうと予想されること、被告人の健康状態は芳しくないことなどの事情もあるので、これらの事情を被告人のために斟酌すると、被告人に対しては、懲役二年に処した上、今回に限り三年間その刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。

よって、主文のとおり判決する。

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